介風見聞錄

台北に暮らす「介(すけ)」のあることないこと。

【ユニー航空】2006年の《台北→高雄》搭乗記&当時の台湾国内線事情を振り返ってみる

介風見聞録にお越しいただき、有り難うございます。介(すけ)です。

先日、ふと長いこと放置していたmixiにログインしたところ、2006年に台北から高雄までを飛行機で移動した時の写真が出てきました。自分で言うのもなんですが、今では見られない貴重な写真だと思うので、この場で紹介させてください。また、改めて2000年代の台湾国内線事情を振り返ってみたいと思います。

【台北から高雄までわずか50分】

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それは、一年間の交換留学も終わりにさしかかった2006年6月30日。高雄出身の友人が帰省するというので、別の台湾人の友人と3人で高雄に遊びに行くことになりました。ただ、当時は台湾高鉄開業前。当初は高速バスでの南下を考えていたのですが、友人の親御さんが「せっかく遊びに来るのなら、お金を出してあげるから飛行機に乗りなさい」とおっしゃってくださり、お言葉に甘えて飛行機での移動となりました。

搭乗したのは、エバー航空子会社の立榮(ユニー)航空B7831便。台北松山空港は今でこそ第1ターミナルが国際(両岸直行)線、第2ターミナルが国内線と棲み分けられていますが、当時は原則国内線しか就航しておらず、第1ターミナルでチェックイン。金曜日の夜とあって、ターミナルはとても混雑していました。

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機材はMD90型機。通路が1本しかないナローボディで、2+3で座席が並んでいました。で、この機材の特徴は、エンジンが主翼ではなく、機体の後部についているという点。出発時刻間際にチェックインしたので、窓のない最後部の座席にアサインされ、グランドスタッフさんに「窓のない座席ですが大丈夫ですか?」とわざわざ言われたのを今でも覚えています。

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台北松山空港から高雄小港空港までの直線距離は300キロ。飛行時間はわずか50分。それでも途中ドリンクサービスがあり、300ml紙パックのジュースが振舞われました。記憶では黑松の「葡萄c」。ほかの味があったかどうかは覚えていません。

飲み終わったらすぐに着陸。これもMD型機の特徴なのですが、お尻の部分にタラップがついていて、そこから降機して非常に興奮したような気がします。

2007年に開通した台湾高鉄に利用客を奪われ、現在では完全に廃止されてしまった台北−高雄間の国内線。その貴重な路線に乗っていたというのは、乗り物好きとしては非常にラッキーだったなぁと思うのでした。

【飛行機大国だった台湾】

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今では考えられないことですが、かつては台湾国内を旅行する時、速さを選ぶなら移動手段は飛行機一択でした。台北松山空港の出発ロビーにあった電光掲示板を見ると、高雄だけでなく、台南、嘉義、そしてまさかの台中の文字が見えます。また、花蓮や台東を結ぶ路線も現在よりも多くの便が飛んでいたようです。あと、ここには写っていませんが、屏東、恒春への便もあったんですね。

台北−高雄間を例にとってみると、台鉄や高速バスで移動した場合、所要時間は約5時間。高速バスはさらに渋滞に巻き込まれる可能性があり、高鉄開通前の連休に高速バスを利用したら12時間かかったという友人もいます。また、東部方面でも当時は車体傾斜装置をつけた台鉄のタロコ号やプユマ号も走っていないばかりか、台東−花蓮間はそもそも単線非電化。雪山トンネルを走る蔣渭水高速道路(国道5号)も開通前。そう考えると、飛行機の利用は至極当然の選択だったのかもしれません。

ちなみに、交通部民航局の2006年の統計によると、台北−高雄間の年間利用客数は256万人。華視新聞の報道によればピークとされる1996〜97年には1日100便以上が飛び交い、なんと年間600万人前後が利用していたといいます。

そんな状況を一気に変えたのが高鉄の開業。台北−高雄間の航空運賃は2100元だったのに対し、高鉄運賃は1340元。高鉄の所要時間は最速1時間39分と、少し時間がかかってしまうものの、煩雑な手続きや保安検査などが要らず、簡単かつ大量に乗車できる鉄道の威力は凄まじく、民視新聞によるとあれだけ多くの人が乗っていた台北ー高雄間の飛行機利用客は2011年にはわずか2万5000人に減少。2012年に最後まで運航を続けたマンダリン航空便の搭乗率はわずか3割だったそう。飛行機と高鉄の時間差がさらに縮まる台北−台中、嘉義、台南などは航空会社はどんな手段を繰り出しても太刀打ちできなかったのは明白です。

東海道新幹線の開業で羽田−名古屋間の航空便が廃止に追い込まれたことは有名ですが、台湾でも高速鉄道の開業で同様のことが起きていたのは興味深いことです。高速鉄道の凄さをまざまざと見せつけられました。時代が大きく変化する場に居合わせていたんだなぁとしみじみせざるを得ません。

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高雄空港でたまたま撮影したマンダリン航空フォッカー100型機

今回たまたまmixiを開いて見つかった写真。明るさが足りなかったり、構図がおかしったりと、見るに耐えないものばかりですが、すっかり忘れていた記憶が鮮やかに蘇ってきました。記録を残すことってとても大切ですね。今はスマホで手軽に写真や動画が撮れる時代。些細なことでも記録することを心がけたいものです。

そして、ドル箱路線だった台北ー高雄線があっけなく廃止されたことで思い出したのは、以前、遠東(ファーイースタン)航空が運航していたMD82/83型機にいつか乗ろう、いつか乗ろうと思って遅々として乗らずにいたら、ファーイースタン航空自体がなくなってしまい悔しい思いをしたこと。

今あることが今後もあり続けることって難しいんですよね。やりたい事があるなら、できるだけ早く実現できるように努力するべきだなぁと痛感しました。