介風見聞錄

台北に暮らす「介(すけ)」のあることないこと。

台湾でコロナ解雇されて海外ニートしてましたが再就職しました

介風見聞録にお越しいただき、有り難うございます。介(すけ)です。

ブログを書くのがすっかりご無沙汰になってしまいました。というのも、表題の通り再就職がらみでちょっとバタバタしたからです。最近やっと落ち着いたので、ご報告までに解雇から再就職までの顛末をお話ししようと思います。

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【心の準備はしていたけれど、やはりショックだった解雇通知】

簡単に説明をしますと、僕は元々、台北で某旅行情報サイトの編集をしておりました。台湾の旅行情報を日本人に向けて発信するという業務内容だったので、2020年の年初にコロナが流行し出した時、「お。これは俺の仕事にも影響しそうだぞ」と覚悟したのを覚えています。

ただ、おかげさまで台湾は防疫に成功したため、しばらくは毎日こなさなければいけない業務をいつも通りこなしていました。

事態が変わったのは3月下旬。日本人観光客の訪台ができなくなったため、急遽勤務時間が週5日から週2日になり、給与も約3割削減となりました。

とはいうものの、僕は元々、住んでいる家が質素で家賃があまりかからず、お酒を飲むといっても豪遊をするわけではなかったので、給与が少なくなっても貯蓄ができなくなるとはいえ、その日暮らしは十分にできる状態だったが故に、休みが増えて非常に快適な生活が始まりました。スクーターで遠出したり、普段会えない人に会いに行ったりと、却ってとても充実してしまい、「当面このままでもいいや」と呑気に考えていました。

ただ、そういった甘い考えは長く続かないもの。6月下旬に社長からラインで「契約は7月末まで」という解雇通知を受け取りました。コロナの影響が長引く中、最悪の事態は覚悟していたので、「遂に来たか」という感じでしたが、やはりショックでした。その日は仲の良い日本人の友人数人に電話をかけまくり慰めてもらったりもしました。皆さんには本当に迷惑をかけました。

それでも、精神的に凄く助かったのは2019年に取得できた永久居留証の存在。仕事がなかったとしても堂々と台湾に居座れるということが確定していたのと、あと少しだけ蓄えもあったので、結局「ゆっくり次のやりたいことを見つければいいや」という考えにたどり着き、当面は突如現れた夏休みを謳歌することにしました。

↓無職でも経済的な負担にならなかった家賃の比較的安い部屋の話はこちら

kennethqi.hatenablog.com

【悠々自適、堕落した海外ニート生活】

そして始まった海外ニート生活。もうね、毎日が楽しくて仕方なかったです。締め切りに迫られる仕事をしなくて良いし、そもそも朝に起きなきゃいけないということもなく、寝たい時に寝て、起きたい時に起きて、自分のしたいことをすればいいという日々。すぐに昼夜逆転した生活が幕を開けたのです。

しかも、ちょうど友人の勧めもあり、「シティーズスカイライン」という都市を建設するPCゲームにどハマりし、毎日10時間以上遊んでいたことも。元々超絶インドア派の人間だったので、家を出なくていいというのは本当に最高の日々でした。

面白かったのは、台湾人であれ、日本人であれ、僕が失業したことについて悲観的に考える人は一人もおらず、「お前だったら台湾で何しても生きていける」「フリーランサーになれ」「youtuberになったら絶対にバズる」と言われ続けたことでしょうか。

でも、気づいたこともありました。それは、僕が当初思っていた以上に堕落した人間であり、フリーランサーやyoutuberなどの仕事に向いていないということ。失業中に幾つか記事執筆や通訳案件のお話をいただいたのですが、もう、全てが面倒臭く感じてしまい、一部を除いてほとんど断ってしまいました。クライアントの要求に応じて文章を書くことや、自分の書きたいことをツラツラと適当に書くにしても、題材を探して、それを提案して〜という一連の作業が自分に向かないということを改めて理解したのです。

結局、この間にしていた仕事は普段からお世話になっている方からいただいた単発のお話を幾つか受けたのと、台湾の友人が手がける出版物のプロジェクトに参加し、約半年間その作業に没頭することになったこと。本当は広東語の勉強をしようかとも思っていたのですが、出版物のプロジェクトがそれなりに分量があるものだったため、なんだかんだで失業期間中の後半は忙しい毎日を過ごすことになりました。

【急に舞い込んできた再就職の話】

で、状況が急展開したのは今年2月下旬。以前から非常に親しくしていただいていた日本人のお姐様が3年強勤務していた台湾企業を退職し独立なさるということで、後任にならないかというお話が舞い込んできたのです。

まぁ、正直に言いますと、僕が解雇された時点ですでに独立を考えていたこのお姐様には「退職することになったら後任に推薦してください」という話をしていました。それでも具体的な時期は未定のままだったので、もう少し時間がかかっていたら別の仕事を探す必要があったのかもしれません。

もちろんそのままコネ入社ができるわけではなく、先方はきちんと台湾の転職サイトに求人を出していて、僕もほかの応募者と同様に面接と筆記を受ける必要がありました。なのでその日のうちに中国語の履歴書と職務経歴書を書き上げ、翌々日には台湾人の友人に中国語の添削をしてもらい、5日目にはお姐様を通じて書類を提出しました。

面接は雑談プラス業務内容の説明を聞くだけの非常に簡単なものでしたが、筆記試験については50分以内に300字程度の日本語の文章とその中国語訳を書くというものでした。

ちなみにこの筆記試験、先方からの面接前のメールで、「パソコンはこちらで用意します」といわれていたものの、万が一のために自分のmacbookを持ち込みました。そしたら案の定、提供されたPCはそもそも日本語入力設定がなされていなかったばかりか、中国語も注音入力設定だけで、僕が普段使っている拼音入力は、それこそインストールの方法から調べないといけない状態になっていたため、提供されたPCの使用は早々と諦め、自分のmacbookでの執筆に切り替えました。この点は、ほかの企業でも起こりうる状況なので、面接には自分が使い慣れた機材を持ち込む必要があるかもしれません。

で、おかげさまで一週間後には採用通知が届き、晴れて4月より台北で会社員復帰となりました。まだまだ新米社員なので、出来が悪かった場合、もしかしたら3ヶ月後に再び解雇される可能性はなきにしもあらずなのですが、とりあえず、目の前のことにむかって努力していこうと思っています。

僕の座右の銘は「船到橋頭自然直」(ケセラセラ)。今回のコロナ禍で、多くの人が職を失ったり、生活に困っている方がいらっしゃると思います。ただ、生きてさえいれば大概なんとかなるはずなので、どうか一緒に乗り切っていければと思います。

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