介風見聞錄

台北に暮らす「介(すけ)」のあることないこと。

台湾に住んで15年になって考えるアイデンティティの話

介風見聞録にお越しいただき、有り難うございます。介(すけ)です。

2005年に交換留学で初めて台湾に来てから、15年が経ちました。おかげさまで一昨年には永久居留証をいただき、勝手ながら台湾を構成する人間の一人になれたのかなぁと思っています。ただ、こういうことを言ってしまうと、厚かましく感じられる方もいらっしゃるかもしれません。実際、日本国籍である僕は、多くの台湾の方々のご好意とご尽力により、暮らさせていただいています。しかしながら、これだけ長く台湾で暮らしてしまうと、日本人としての自覚や意識も希薄になっているのも事実です。

今回は、在台15年が経った僕のアイデンティティについて、なんとなく落とし所がついた話をしようと思います。

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【日本人だけれど日本に思い入れがないことに気がついた】

生まれも育ちも東京の都下で、20歳に交換留学で台湾に来るまで海外経験がなかった僕ですが、台湾に来てからホームシックになるということは一度もありませんでした。もちろん、中国語が思うように話せないもどかしさで辛いなぁと思った時期もあったものの、当時はまさかこんなに長く台湾に滞在するとは思っておらず、いつか日本に帰るだろうと思っていたので、ホームシックになる環境すらなかった気がします。台湾だとなんだかんだで日本食が食べられますし、日本のテレビ番組だって見れますし。不自由を感じたことはありません。

ただ、5年、10年と滞在が長くなるにつれ、気付いたことがありました。それは、自分がそもそも「あまり日本に対して思い入れがない」ということ。自由に海外旅行ができた時期でも、東京の実家に帰るのは1年半に一度あればいいくらいで、年間滞在日数では日本よりも香港の方が長いことがままありました。(といっても数日の違いですけれども)

日本の春のソメイヨシノを見て美しいと思いますし、冬に外へ出て耳まで痛くなる寒さを感じて「いとおかし」と感じたり、本場の日本料理を食べて美味しいと感じることもあるわけですが、別にそれを体験しなくても、死ぬわけではありません。

逆に、台湾にいても、春に陽明山に咲くカラーを見たり、初夏にライチを食べたり、夏にマンゴーを食べたり、年越しには寒さに耐えながら台北101の花火を見たりと季節感や文化を感じられるわけで、台湾には台湾の良さが沢山あることに気づきましたし、それが僕の中で日常の風景になったのかもしれません。

しかも最近は香港やシンガポール、タイなどにも興味が出てきていて、日本だけにこだわる理由もないと思い始めてきました。

こう考えられる背景としては、中国語や台湾の生活に不自由しなくなったり、たくさんの友人ができたりと、台湾での生活の基盤がしっかりとできたこと、台湾での生活を通じて、香港やシンガポール、タイに精通する友人ができたことなどの影響が大きいのではないかなと感じています。あと、家庭環境がぼちぼち複雑で、家族間であまり深い絆がないというもの大きいかもしれません。

【別に日本人らしくなくたっていいじゃない】

とはいうものの、日本人でありながら日本に興味がないというと、周りの人には不思議に見えるようで、「日本人なのに……」「変わってますね……」と絶句されることもしばしば。なんとなく遠回しに非国民とか、売国奴と思われているような複雑な気持ちになることもありました。

そんな中、数年前、台湾で活躍しているある日本人作家のインタビューをした際に、とても印象に残る言葉を聞き、それまで心の中に引っかかっていたしこりのようなものが取れるようなすっきりとした感覚がありました。それは、「アイデンティティはマーブルのようなもの」という言葉。

多くの人は日本人、台湾人、アメリカ人などとと国籍で個人のアイデンティティを判断しがちですが、実際は花蓮の大理石のように2色(もしくはそれ以上)の色が混在しているというのです。その色は完全に溶け込んでいるわけではなく、絶妙かつ複雑に混ざり合っている状態。

確かに、人それぞれ育った環境や受けた教育、時代背景などが違うわけで、国籍だけで人を判断するというのは到底無理な話。特に台湾のように外省人、本省人(さらに閩南人と客家人)、原住民(平埔族を含む)、新住民とたくさんのエスニックグループが暮らす場所では、そもそも台湾人という言葉で一括りにできる人々ではないはずです。ただ、同じ台湾という土地に暮らしている以上、お互いが影響しあってそれぞれが独特のマーブル模様を形成しているというのは十分に納得ができる考え方です。

セクシャリティについても、男と女と二分化するのではなく、グラデーションだとする考えが広まっていますが、まさに同様の考え方ですよね。

昨年、李登輝元総統が亡くなり、彼のアイデンティティについて取り沙汰されることが多くありました。彼はまさにこのマーブルのアイデンティティを持ち、TPOに応じて無意識のうちに使い分けていたのではないかなぁと思います。

僕の場合は、生まれ育った日本人らしい部分と、生活の基盤となっている台湾人らしい部分の双方があると言えるかもしれません。

台湾の友人であれ、香港の友人であれ、僕が珍しく日本語を喋っている場面に出くわすと「忘れてたけど、お前日本人なんだよな」と言われるようになっているので、僕の中にも台湾人らしさというのは多かれ少なかれあるのだと思います。

 

長々と書いてきましたが、結論としては、僕のアイデンティティが、誰か別の人に決められるものではなくて、時と場合によって無意識ながらも流動的に、絶妙に切り替えられるものなのだなぁと理解できました。それと同時に、僕以外の人たちも同様で同じ土地や国に暮らす人の中でもたくさんのアイデンティティが混在しているのだなぁという意識が芽生えるようになりました。

国籍だけを理由に先入観や固定概念で相手の性格や習慣を決め付けるのではなく、その人の背景や環境も理解した上で、接することが一番なのかなと改めて考えられました。十人十色という言葉があるように、多様性のあることをたくさんの人が理解して、それを認め合える環境があるといいなと願わずにはいられません。そして、このことに気づかせてくれたのは、この台湾という土地に暮らしているからで、改めて台湾に感謝しなきゃいけないなと思いました。(小並感)

 

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